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静岡地方裁判所 昭和62年(ワ)261号 判決 1992年10月02日

原告

森田ひろ子

右訴訟代理人弁護士

澤口嘉代子

被告

原口静代

右訴訟代理人弁護士

杉田雅彦

主文

一  被告は、原告に対し、金一九七万一二四三円及び内金一六七万一二四三円に対する昭和五四年一二月二八日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用は、これを一〇分し、その一を被告の負担とし、その余を原告の負担とする。

四  この判決は、原告勝訴部分に限り、仮に執行することができる。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、原告に対し、三一〇一万二五五七円及び内金二八七一万二五五七円に対する昭和五四年一二月二八日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  (事故の発生)

原告は、左記交通事故(以下「本件事故」という。)により、後記傷害を受けた。

(一) 日時 昭和五四年一二月二七日午後〇時一五分ころ

(二) 場所 静岡県榛原郡御前崎町白羽四五一二番地の一七地先路上(以下「本件事故現場」という。)

(三) 加害車 普通乗用自動車(静岡五六の一三九二)

右運転者 被告

(四) 被害車 普通乗用自動車(静岡五〇い二九七五)

右運転者 原告

(五) 事故の態様 被害車が、本件事故現場付近を進行中、前方に飛び出してきた幼児との衝突を避けるため本件事故現場において急停止したところ、被害車を追走してきた被告運転の加害車が、被害車に追突した。

2  (責任原因)

被告は、わき見運転をして前方注視義務を怠り、本件事故現場付近を漫然と走行した過失により、急停止した被害車後部に、加害車前部を衝突させたものであるから、民法七〇九条により、原告の被った後記損害を賠償すべき義務を負う。

3  (損害)

(一) 原告は、本件事故により、重度の頸椎捻挫の傷害を負うとともに、外傷に伴う脳実質の器質的変化により、後にてんかん様発作、幻覚を含むさまざまな神経症状が発現したため、

(1) 高松外科胃腸科医院に、本件事故当日から昭和五四年一二月二九日まで通院し(実治療日数三日間)、

(2) 榛原総合病院に、昭和五四年一二月三〇日から昭和五五年三月一一日まで入院し(七三日間、うち昭和五四年一二月三〇日から昭和五五年一月二七日までの二九日間は付添を要した。)

(3) 同病院に、昭和五五年三月一二日から同年七月二四日まで通院し(実治療日数三日間)、

(4) 藤原整形外科に、昭和五五年八月二八日から昭和五六年一月二〇日まで通院し(実治療日数三七日間)、

(5) 東海病院に、昭和五六年五月四日から同月一一日まで入院し(八日間)、

(6) 片山医院に、昭和五六年八月五日から昭和五七年七月一七日まで通院し(実治療日数六一日間)、

(7) 高松外科胃腸科医院に、昭和五七年一〇月二三日から昭和六〇年五月二日まで通院し、

(8) 榛原総合病院に、昭和六〇年五月八日から同年七月二九日まで入院し(八三日間)、

(9) 同病院に、右退院後から通院し、

その他にも松林治療院、聖隷浜松病院、稲葉指圧治療院、中央治療院等に通院を余儀無くされ、その間就業できないのはもちろん、現在においてもなお日常生活にも著しい支障をきたしているもので、本件事故によって被った原告の精神的、肉体的苦痛は筆舌に尽くしがたいものがある。

(二) 右受傷に伴う損害額は次のとおりである。

(1) 治療費内金

二三二万三〇八一円

ア 榛原総合病院入院治療費

一五三万六一六〇円

イ 同病院通院治療費

一一万四二九〇円

ウ 藤原整形外科通院治療費

二〇万六〇九〇円

エ 聖隷浜松病院通院治療費

一万七四六〇円

オ 片山医院通院治療費

四万三六〇〇円

カ 高松外科胃腸科通院治療費

二〇万五八八一円

キ 松林治療院通院治療費

八五〇〇円

ク 稲葉治療院通院治療費

四万一〇〇〇円

ケ 中央治療院通院治療費

八万六二〇〇円

コ 早川接骨院通院治療費

二万三三〇〇円

サ 松下指圧通院治療費

一万三八〇〇円

シ 御前崎針灸院通院治療費

一万七八〇〇円

ス 長尾針灸院通院治療費

三〇〇〇円

セ 十字式健康会通院治療費

三〇〇〇円

ソ 釜下順行通院治療費

三〇〇〇円

(2) 付添看護費 八万七〇〇〇円

一日三〇〇〇円の割合で二九日分(昭和五四年一二月三〇日から昭和五五年一月二七日まで)

(3) 入院雑費 八万一〇〇〇円

一日一〇〇〇円の割合で八一日分(昭和五四年一二月三〇日から昭和五五年三月一一日まで及び昭和五六年五月四日から同月一一日まで)

(4) 通院交通費 九万四五八〇円

ただし、昭和五八年一一月一五日までに要した費用

(5) 休業損害 七二八万九二六一円

原告は、本件事故当時、主婦として家事労働に従事するかたわら、パートタイムの労働に従事し、あるいは義父の漁業、義母の保険セールスを手伝うなどしていたものであるが、本件事故の結果、本件事故当日から昭和五五年七月三一日までは、全く労働に従事することが出来ず、同年八月一日から昭和五九年一二月四日までは、気分の良いときに洗濯、掃除等の家事を多少することができた程度で、本件事故前と比較すれば、七割の休業を余儀なくされるにいたった。したがって、昭和五五年度賃金センサス第一巻第一表による産業計・企業規模計・学歴計の三〇歳から三四歳の女子労働者の平均年収である二〇〇万三六〇〇円を基礎に休業損害額を算出すると、本件事故日から昭和五五年七月三一日までが一一九万一一八一円、同年八月一日から昭和五九年一二月四日までが六〇九万八〇八〇円となり、その合計額七二八万九二六一円が、本件事故の結果、原告に生じた休業損害額となる。

(6) 入通院慰謝料 三五〇万円

(7) 後遺障害による逸失利益 一二五〇万円

本件事故の結果原告に生じた傷害は、昭和五九年一二月四日に症状固定したものであるが、右症状固定日以後も、原告には、身体の震え、落涙、全身の脱力等の症状を伴う発作、諸々の幻覚・幻聴、頭部・頸部・肩部の痛み、腕部の痺れ、嘔吐感、耳なり等の後遺症が残存し、そのため、原告は、年間一〇〇日程度横臥することを余儀なくされて、その間何等の作業もなし得ない状態にあるうえ、そのような日以外においても、簡単な家事労働に従事することができるにすぎない状態にあるのであって、これら原告に生じている後遺障害の程度は、少なくとも後遺障害別等級表の第七級四号の「神経系統の機能又は精神に著しい障害を残し、軽易な労務以外の労務に服することができないもの」に該当し、労働能力を五六ペーセント喪失したものというべきである。

原告は、前記症状固定時において満三七歳になる前であり、その就労可能年数は満六七歳までの三〇年であるから、昭和六〇年度の賃金センサス第一巻第一表による産業計・企業規模計・学歴計の三五歳から三九歳の女子労働者の平均年収である二四八万八〇〇〇円を基礎に、右労働能力喪失率を乗じ、新ホフマン方式によって中間利息を控除して(三〇年間の係数18.0293)、後遺障害による逸失利益の現価額を算出すると二五一一万九八六三円となる。

原告は、本訴において右内金一二五〇万円を請求する。

(8) 後遺症慰謝料 六七〇万円

前記後遺障害の状況、原告の家族の苦悩及び原告が平成三年一一月には離婚のやむなきに至ったことなど、本件事故による後遺症の結果原告の受けた精神的肉体的苦痛を慰謝するには、六七〇万円が相当である。

(三) 損害の填補 三八六万二三六五円

原告は、本件事故による損害賠償の支払いとして、合計三八六万二三六五円(マッサージ代を含む治療費として二〇二万七二八五円、通院交通費等として九万五〇八〇円、その他内金として金一七四万円)の支払いを受けた。

(四) 弁護士費用 二三〇万円

4  (結論)

よって、原告は、被告に対し、前記3の(二)の合計額三二五七万四九二二円から同(三)の金額を控除した二八七一万二五五七円に同(四)の金額を加算した三一〇一万二五五七円及びこれから右金額のうち同(四)の金額を除く二八七一万二五五七円に対する本件事故の翌日である昭和五四年一二月二八日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1の(一)ないし(四)の各事実及び同(五)のうち加害車が被害車に追突したことは認めるが、同(五)のその余の事実は争う。

本件事故によって被害車が受けた損傷は、リヤバンパー付近に僅かな凹損を受けた程度であり、また、本件事故直後、原告は、何ら体の痛みなど訴えていなかったことなどからみても、本件事故によって原告の受けた衝撃の程度は軽度のものである。

2  請求原因2の事実は否認する。

3  請求原因3の(一)及び同(二)の(1)ないし(4)の各事実は知らない。同(5)ないし(8)の各事実は争う。

本件事故により原告の受けた頸椎捻挫の傷害の程度は、本件事故の際の衝撃の程度や当初の治療経過に照らすと軽度のものであって、その症状固定時期は、昭和五五年三月一日に榛原総合病院を退院したときと考えられる。してみれば原告の主張する請求原因3の(二)の(5)の休業損害額、同(6)の入通院慰謝料額はいずれも過大である。

また、原告が、本件事故後に、さまざまな神経症状を呈するようになったとしても、それは原告の脳実質に生じた器質的変化に起因する症状ではなく、心因性のものであって、本件事故とは因果関係がない。仮に、原告の現症状が本件事故に起因する後遺障害であるとしても、本件事故の原告の現症状に対する寄与割合に鑑み、後遺障害の程度は後遺障害別等級表の一四級一〇号に該当するものと認めるのが相当である。そうすると原告の主張する請求原因3の(二)の(7)の後遺障害による逸失利益の額、同(8)の後遺症慰謝料額もいずれも過大である。

4  請求原因3の(三)の事実は認め、同(四)の事実は争う。

第三  証拠<省略>

理由

一(事故の発生)

請求原因1の(一)ないし(四)の各事実及び同(五)のうち加害車が被害車に追突したことは当事者間に争いがない。

そして、右争いのない事実に、<書証番号略>及び原告本人尋問の結果(第一、第二回)並びに弁論の全趣旨を併せ考えれば、

1  原告は、本件事故当日、被害車を運転し本件事故現場付近を走行中、約三〇メートル前方に補助車付の自転車に乗った幼児を見掛けたため、速度を時速四〇キロメートル以下にして走行していたが、同児が突然被害車の前方進路に侵入してきたので本件事故現場で急停止したところ、その直後に被害車の後方を追走していた被告運転の加害車に追突されたこと、

2  被害車は、軽四輪乗用車であり、本件事故の結果、リヤバンパー、リヤカバーが中央付近で凹損し、また、リヤ左コンビネーションランプが破損して、その修理に合計二万八一〇〇円を要したこと、

3  加害車は、小型乗用自動車であり、本件事故の結果、フロントバンパー中央付近が凹損する損傷が生じたこと、

4  原告は、本件事故で頭部を強打するようなことはなかったものの、背中に悪寒が走り、また頭がぼうっとするような症状を覚えたこと、

5  原告は、事故直後、被告の提案により、車両の修理のため、被告とともに、被告の知り合いの自動車修理工場に向かったが、同修理工場で待つ間に肩等の不快感が増してきたため医師の診察を受けることとし、当初診察依頼をした二か所の医療機関で断られた後、高松外科胃腸科医院において受診したこと、

以上の事実が認められる。

右認定事実によると、本件事故の態様は、本件事故現場で停止した被害車の後部に加害車が衝突したものであるが、相互の車体の損傷が極く軽微であるうえ、少なくとも事故直後においては、原告の傷害の状況及び程度は背中及び肩の不快感を主とし、かつ、直ちに医師の診察を受けようとする程のものではなかったのであるから、本件事故によって、原告の受けた衝撃は、通常の頸椎捻挫を生じせしめる程度のものであったとしても、それ以上の特別強い衝撃であったものとは認められない。

二(責任原因)

<書証番号略>、原告本人尋問の結果(第一、第二回)及び弁論の全趣旨を総合すると、本件事故は、被告が、前方注視義務を怠った過失により生じたものであることが認められ、被告は、民法七〇九条に基づき原告に生じた損害を賠償すべき責任を負う。

三(原告の受傷内容及び因果関係)

1 右一で認定した事実に、<書証番号略>、証人小川正明及び同森田政己の各証言、原告本人尋問の結果(第一、第二回)、鑑定人中田輝夫及び同渡邊富雄の各鑑定の結果並びに弁論の全趣旨を総合すると、次の事実が認められる。

(一)  症状の経過

(1) 原告は、本件事故直後、背中に悪寒が走り、頭がぼうっとしてきたが、被告とともに、車両の修理のため修理工場に赴いたところ、しばらくして肩に熱感を覚えて気持ちが悪くなってきたため、高松外科胃腸科医院において受診し、牽引療法を受けたが、かえって吐き気、頭痛が生じるようになった。原告は、事故の翌日及び翌々日も、同医院で診療を受け、頸部捻挫と診断されたが、吐き気等の症状が治まらず、同年一二月三〇日、榛原総合病院において受診し、即日、入院した。同病院での、レントゲン、頭部CT検査、髄液検査、脳波検査では明らかな異常所見は認められず、また、神経的異常も認められなかった。原告は、同病院入院中、頭痛、吐き気、嘔吐、頸部不快感、左耳閉塞感等の諸症状を訴えていたが、昭和五五年二月に斜面牽引を開始したころより症状の改善がみられ始め、二月末よりたびたび外泊をし、症状が軽快したこともあって、原告の希望により三月一一日に同病院を退院した。同病院では、原告の症状を頭部外傷後遺症と診断した。

(2) 原告は、同病院退院後頭痛等が続いたが、同病院が遠方であることもあって、三回通院しただけで、同年八月二八日から、藤原整形外科に転医し、昭和五六年一月二〇日まで同医院に通院し、投薬治療や、湿布マッサージ等の整形外科的治療を受けたが、項部重圧感、両肩凝り等の症状は残っていた。

なお、原告は、転医当初、二か月程パート勤めに出たが、症状が改善しないためそれも辞め、また藤原整形外科に通院するかたわら、昭和五五年一一月から昭和五六年四月まで、早川接骨医院にも通院していた。

(3) 原告は、昭和五六年になった以後も、頸部、肩部の不快感、頭重感などの症状が残っていたところ、同年五月四日夜、突然脱力感を伴って身体が痙攣硬直するという発作が起きたため、救急車で東海病院に搬送され、そのまま同月一一日まで入院した。なお、その後昭和六二年までの約五年間に、意識障害は伴わないものの、意思とは無関係な強制泣き、強制笑いを伴い、三〇分余り継続する右同様の大きな発作が一〇回前後起き、右の程度にまでは至らない軽い発作は多数回起きた。

(4) 原告は、同病院退院後、昭和五六年八月五日から片山医院に通院して灸治療を受けたが、片山医師の死亡により、昭和五七年七月から、聖隷浜松病院などに通院し、同年一〇月ころから昭和五八年四月までは、再び高松外科胃腸科医院に通院した。同医院でのレントゲン検査では原告に明らかな異常は認められなかったが、診断名としては、頸椎捻挫後遺症、外傷性脳圧亢進症、自立神経失調症とされた。

(5) 原告は、その他にも、昭和五九年ころ、松林治療院、稲葉指圧治療院などで、マッサージ等を受けていたが、症状の改善は一向に見られなかった。

(6) その後、原告は、両手指の痺れ感、頸部不快感、胸部不快感等が強くなって、昭和六〇年五月四日に、榛原総合病院において受診し、外傷性ノイローゼ、不安神経症と診断され、同月八日、同病院精神神経科に入院した。原告は、同病院に入院している間、検査の結果、整形外科的には問題がないとされたことから、専ら精神科的治療を受けたが、同年五月二九日に同病院を退院し、その後も、同科へ通院して精神療法を受けるかたわら、マッサージ治療に通院することもあった。

原告には、榛原総合病院に入院中は発作症状はみられなかったが、退院して自宅に戻ると、以前と同様の発作が起こるばかりか、同年九月ころからは、幻覚症状も出現し始め、家庭内で家事が可能なのは月のうち数日を数えるほどで、ほとんど寝たきりの生活を送る状態が続いた。その後、原告の状態はやや軽快し、昭和六三年になってからしばらくの間は大きな発作は起こらず、榛原総合病院に二週間に一回程度で通院して、処方を受けた薬を服用する生活を送り、そのころは、月に五、六日程度寝込む程度におさまって、家事もある程度するようになっていた。

(7) 原告は、平成二年一月ころ、大きな発作が再び起き、同年三月八日から、平成三年三月三〇日まで、榛原総合病院精神神経科に入院した。退院後も、同病院に通院して薬の服用を続けるという以前と同様の生活を送り、現在においても、頭痛、幻聴、頸部が張ってくるような不快感の症状は続いているが、幻覚症状は、平成二年末ころより消失し、以前に比べると家事も出来るようになって、症状は軽快してきている。

(二)  鑑定の際の検査結果等

原告は、本件における鑑定のため、平成元年九月二五日から同年一〇月一四日にかけて昭和大学病院に入院したが、その期間中に行われた心理検査の結果によると、原告は情緒不安定の傾向があり、また、身体機能への関心が著しく、抑うつ的で物事を気にして悩み、自己中心的で、暗示にかかり易いこと、対人関係に不満を持ち、内面的葛藤が多いことが窺われ、さらに、自我が未熟であり精神内容が未分化である可能性が認められ、これらの検査結果と、前記(一)の症状の経過及び後記整形外科的所見とを総合すると、原告の精神内界に最低でも神経症レベルの精神障害が存在する可能性が高い。

また、右の入院期間中に併せて行われた整形外科領域の検査結果によると、原告は頸部不快感等の症状を有することは認められるが、他覚的、客観的に証明できる症状はなく、頭部CT、123I―IMP、脳波の各検査とも異常所見は認められない。頭部MRI検査で、基底核、深白質に散在する多発性微小梗塞が認められるが、これらの微小梗塞は四〇歳以降に出現する所見であり、臨床症状としては現れないことがほとんどであるし、発現する可能性のある症状も原告の症状とは合致しない。

なお、本件事故後まもなく高松外科胃腸科医院で撮られた原告の頸部レントゲン検査では、椎間孔の峡小化が認められたが、椎間孔の峡小化それ自体は、原告に発現した神経症状の原因となることはない。

(三)  頸椎捻挫の一般的所見

頸椎捻挫(頸部捻挫)または外傷性頭頸部症候群などといわれている損傷は受傷後の数日以内に頸部重圧感や頸部痛などを発現するも、その損傷によって後遺障害を残すほどの外傷ではなく、通常三か月で、長くとも一年以内で治癒し、治療が長期化するものの多くは心因性の疾患が内在している

2  右1で認定した各事実及び前記認定に係る本件事故の態様並びに鑑定人中田輝夫及び同渡邊富雄の各鑑定の結果並びに原告本人尋問の結果(第一、第二回)を総合すると、原告は、本件事故により頸椎捻挫の傷害を負い、その結果、頸部重圧感等の頸椎捻挫の一般的な症状を呈するようになったが、そのような症状自体は遅くとも一年以内に治癒ないし固定したはずのものであること、しかるに、本件事故後約一年半を経てから、原告には、てんかん様の発作を含む様々な神経症状が発現し、長期間にわたって継続して現在に至っていること、しかし、本件事故時に原告に加わった衝撃はさほど強度なものではなく、その頭部に右のような神経症状の原因となるような脳実質の器質的変化をもたらすような外力が加わったものとは考えられないことや、整形外科的検査によっても右のような脳実質の器質的変化が生じている形跡は窺われないことからみて、右の神経症状は、脳実質の器質的変化によるものではなく、心理検査の結果によって窺うことのできる原告の情緒不安定傾向や、身体機能への関心が著しく、暗示にかかりやすくて内面的葛藤が多いなどの素因としての性格性向を基に、本件事故の事故体験そのものや、頸椎捻挫による肉体的苦痛の持続、入院加療による安静制限、入院加療が遷延することによって生ずる家庭からの隔離感と孤独感、家族に迷惑をかけたという自責の念等、肉体的、精神的ストレスが加わることによって、原告が精神障害である心気症に陥り、かかる心気症に基づいて右のような様々な神経症状が生じたものであることが認められる。

もっとも、<書証番号略>によれば、原告が昭和六〇年五月四日に榛原総合病院において受診した時以降、原告の主治医であった同病院の岩切信義医師は、原告代理人の求めに応じて作成した意見書<書証番号略>において、原告に生じた幻覚症状はその態様からみて器質性のものである可能性が高い旨、また、平成三年一月に同病院で施行されたMRI検査の結果によれば、原告の脳の左右被殻、右淡蒼球、右頭頂葉に水に似た信号強度を示す小さい領域があり(前記昭和大学病院におけるMRI検査によって認められ、多発性微小梗塞と判定されたものと同一のものを指す。)、脳挫傷のあとの可能性性が大きく、この部位の障害によって幻覚が生じても矛盾はしない旨、さらに、原告に器質性の人格変化(感情不安定、衝動性、無気力)がみられ、原告の発作はこれによって生ずるものと思われる旨の意見を述べていることが認められ、また、<書証番号略>及び証人小川正明の証言によれば、榛原総合病院において、昭和六〇年九月に岩切医師に代って原告の主治医となり、その後再び岩切医師に引き継いだ同病院の小川正明医師も、原告の症状について、確定診断はつけかねるとしながらも、岩切医師とほぼ同様の意見を有していることが認められる。

しかしながら、前記のとおり、本件事故時に、原告に脳挫傷その他脳実質の器質性変化を生じせしめるような衝撃が加わった事実は認められない上、<書証番号略>及び鑑定人中田輝夫の鑑定の結果によれば、同鑑定人は、本件鑑定に当たって、原告代理人から、前記榛原総合病院におけるMRI検査の結果に係る岩切医師の所見について連絡を受け、昭和大学病院におけるMRI検査の結果につき同大学放射線科の複数の医師の意見を徴しているが、その意見は、当該検査によって認められた異常所見につき梗塞像であって出血の後ではないとの判断で一致したことが認められ、これらの事実に加え、小川医師の証言によっても、外傷性の発作が事故後一年半も経過してから生ずる例は少ないとされていることを併せ考えると、原告の神経症状について脳の器質性変化によるものであるとする岩切、小川両医師の意見は採用し難いところといわなければならない。

3  因果関係の判断

右1の(一)で認定した原告の諸症状の要因のうち、頸椎捻挫が本件事故と因果関係を有することはいうまでもなく、また、その治療経過中に発症したものと認められる心気症も、本件事故による受傷を契機として発症したものであり、一般に、頸椎捻挫の結果心気症等の心因的反応を生じることも必ずしも稀な事態ではないから、心気症が心因的要因による症状であるからといって、ただちに本件事故との因果関係がないということは相当ではないというべきである。

しかしながら、本件事故によって被ったと認められる本来的な傷害である頸椎捻挫は、前記のとおり遅くとも事故後一年を経過するまでには治癒ないし症状固定したはずであったと認められることや、原告の心気症を要因とする神経症状の態様及びその治療経過からみて、現在に至る時間的経過の中で発現した症状の全部を本件事故と相当因果関係あるものとすることは相当でなく、結局、本件事故発生時から五年が経過した昭和五九年一二月二七日以前までに生じた症状については、本件事故との間に相当因果関係があるものとし、その後に生じたものについては、本件事故との間に相当因果関係を有しないとすることが相当である。また、前記1の(一)で認定した症状の経過に鑑みれば、本件事故を契機として呈するようになった原告の神経症状は、本件事故に伴う損害として通常発生する程度、範囲を超えて拡大した損害と認められ、その拡大には前記認定のとおり原告の素因としての性格性向が関与していることが明らかであることからすれば、右の時間的限度内であっても、本件事故による受傷及びそれを契機として生じた心気症に基づく全損害を被告に負担させることは公平の理念に照らし相当ではなく、このような場合に損害賠償の額を定めるに当たっては、民法七二二条二項を類推適用して、その損害の拡大に寄与した被害者の右事情を斟酌するのが相当であると認められるところ、本件において原告に認められる右事情の程度並びに心気症の症状程度及び治療経過に照らせば、本件においては、昭和五九年一二月二七日までに発生した全損害のうちその五割の限度に減額して被告に負担させるのが相当である。

四損害

1  治療費 二〇八万八二〇八円

<書証番号略>、証人森田政己の証言、原告本人尋問の結果(第一、第二回)及び弁論の全趣旨を総合すると、昭和五九年一二月二七日までに原告は治療費として、少なくとも合計二一七万〇〇五八円(うち、灸、マッサージ等の治療に合計一六万三七〇〇円)を要したものと認められるところ、灸、マッサージ等の治療に要した治療費については、その治療内容に照らし五割の限度で、本件事故と因果関係のある損害であると認められるので、本件事故と相当因果関係のある治療費としては合計二〇八万八二〇八円を要したものと認めるのが相当である。

2  付添看護費 八万七〇〇〇円

<書証番号略>、証人森田政己の証言、原告本人尋問の結果(第一回)及び弁論の全趣旨によれば、原告が、昭和五四年一二月三〇日から榛原総合病院に入院した期間中、同日から昭和五五年一月二七日までの二九日間、原告の姉二名が、付添看護をしていることが認められ、前記認定した入院当時の原告の症状に照らし、右付添看護は必要であったものと認められる。なお、入院先の榛原総合病院のカルテには、「付添い看護要せず」と記載されているが、該記載は、入院当初に記載されたもので、その後入院中に原告が呈した症状を踏まえたものではないと推認されることから、右付添看護は必要であったとの判断を左右するものではない。そして、一日当たりの付添看護費は三〇〇〇円とするのが相当であるから、原告は、付添看護費として二九日間分合計八万七〇〇〇円を要したものと認められる。

3  入院雑費 八万一〇〇〇円

<書証番号略>、証人森田政己の証言、原告本人尋問の結果(第一、第二回)及び弁論の全趣旨によれば、昭和五九年一二月二七日までの間に、原告は、榛原総合病院に七三日間(昭和五四年一二月三〇日から昭和五五年三月一一日まで)、東海病院に八日間(昭和五六年五月四日から同月一一日まで)の合計八一日間入院した事実が認められ、その間の一日当たりの入院雑費は一〇〇〇円が相当であるから、入院雑費として八一日間分合計八万一〇〇〇円を要したものと認められる。

4  通院交通費 九万五〇八〇円

<書証番号略>、証人森田政己の証言、原告本人尋問の結果(第一、第二回)及び弁論の全趣旨によれば、昭和五九年一二月二七日までの間に、原告は通院交通費として、少なくとも九万五〇八〇円を要したものと認められる。

5  休業損害 五七一万五九二八円

証人森田政己の証言、原告本人尋問の結果(第一、第二回)及び弁論の全趣旨によれば、原告は、本件事故当時、主婦として家事労働に従事するかたわら、パートタイムの労働に従事し、あるいは義父の漁業、義母の保険セールスを手伝うなどしていたものと認められるが、前記認定の症状の経過に照らせば、本件事故日から昭和五五年三月一一日に榛原総合病院を退院するまではその全部について、同年三月一二日から昭和五九年一二月二七日までは、五割の休業のやむなきにいたったものと認められる。

右事実を前提に、各年度の賃金センサス第一巻第一表による産業計・企業規模計・学歴計の対応年齢の女子労働者の平均年収を基礎に休業損害額を算出すると、本件事故日から昭和五五年三月一一日までが四一万四〇五八円、同年三月一二日から昭和五九年一二月二七日までが五三〇万一八七〇円となり、右合計額は五七一万五九二八円である。

6  慰謝料 三〇〇万円

前記認定の症状の経過、その他本件に顕れた諸般の事情を考慮すると、本件事故によって原告が昭和五九年一二月二七日までに受けた精神的苦痛に対する慰謝料としては三〇〇万円をもって相当と認める。

以上のとおりで、原告が、本件事故と相当因果関係の認められる昭和五九年一二月二七日までに受けた全損害は一一〇六万七二一六円となるところ、前記三の3のとおり右損害額を五割の限度に減額して被告に負担させるのが相当であるから、被告が原告に賠償すべき額は五五三万三六〇八円となる。

五損害の填補 三八六万二三六五円

原告が被告から損害賠償の支払いとして合計三八六万二三六五円(内治療費として二〇二万七二八五円、通院交通費等として九万五〇八〇円、その他内金として一七四万円)を受領していることは当事者間に争いがない。

六弁護士費用 三〇万円

弁論の全趣旨によれば、原告は原告訴訟代理人に本件訴訟の提起と追行を委任し、相当額の報酬等の支払いを約したものと認められるところ、本件事故の内容、審理の経過、認容額に照らすと弁護士費用は三〇万円が相当である。

七結論

以上の事実によれば、本訴請求は、被告に対し、前記四で認定した損害額五五三万三六〇八円から前記五の金額を控除した一六七万一二四三円に前記六の金額を加算した一九七万一二四三円及びこれから右金額のうち前記六の金額を除く一六七万一二四三円に対する不法行為の翌日である昭和五四年一二月二八日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるからこれを認容し、その余は理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条本文を、仮執行の宣言につき同法一九六条一項をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官荒川昂 裁判官石原直樹 裁判官森崎英二)

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